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歴史年表

―近代―





1872年〜1941年
明治時代から戦前まで


■大日本帝国への琉球処分
琉球は沖縄となり、八重山も沖縄の一部として日本になった。

1867年、江戸幕府から日本政府へ、大政奉還。琉球は、5年後1872年に琉球藩として日本になり、琉球王 尚泰王は、琉球藩王になった。そうして尚泰王は華族になり、1879年、廃藩置県により琉球は沖縄県となった。

これによって、琉球や宮古、八重山は、完全に大和と合併して、日本として歴史を歩むこととなる。


■琉球藩の対応
琉球藩は、明治政府なったことで、琉球王国当時の借金をすべて帳消しにしてもらい、3万円(現在の6億円程度)の支給を受けた。しかし、3万円を百姓に還元することはなく、また、琉球藩は年貢を軽減されたが、百姓に対してはいままでと変わらない年貢を徴収していた。


■清国との条約
沖縄の領有問題に関して、日本は沖縄本島以北を日本領土とし、宮古・八重山を清国に割譲することが取り決められ、清国と調印する予定であった。
しかし、清国に亡命していた琉球人たちが清国に激しく反対し、この条約は調印されなかった。
その後、日清戦争が起こり、日本が勝利し、台湾を含め、清国に沖縄の領有を認めさせた。

■八重山処分
八重山処分官として来島した沖縄県属の渡辺簡は、廃藩置県についての明治政府の命令を伝達し、首里王府から派遣される在番の制度を廃止した。


蔵元などの行政機構はそのまま残し、その他、旧慣温存を方針としていたが、翌1880年には蔵元以下の行政機構を監督するために蔵元の構内に八重山島役所が開設され、1882年に郵便局、1883年大川村に小学枚新築、1884年甘藷栽培の開始、1885年西表炭坑の採掘開始など、次々に明治政府による近代化が推し進められた。
しかし、旧慣温存を方針としていたことから、人頭税が廃止されたのは1902年のことであった。








■八重山の村
1896年、石垣間切り、大浜間切り、宮良間切り、与那国島の3間切り1島で八重山郡が発足。八重山列島の時代に伴い、以下のように推移した。
※間切りとは、琉球王国で使われていた間切りの仕方。


◇1896年(明治29年):3間切り1島
八重山郡
 ・石垣間切り・・・石垣村、新川村、名蔵村、崎枝村、川平村、桴海村(ふかい)、竹富村、仲間村、黒島村、新城村、南風見村
 ・大浜間切り・・・大浜村、登野城村、真栄里村、平得村、大川村、上原村、西表村、崎山村、波照間村
 ・宮良間切り・・・宮良村、白保村、伊原間村、安良村、平久保村、野底村、古見村、高那村、小浜村、鳩間村
 ・与那国島
※間切りに関しては、1750年以降から同じ。


◇1908年(明治4年):1村
 ・八重山村・・・ 八重山諸島全域

◇1914年(大正3年):4村
 ・石垣村・・・ 石垣、新川、名蔵、崎枝、川平、桴海、大川、登野城
 ・大浜村・・・平久保、伊原間、野底、桃里、白保、盛山、宮良、大浜、真栄里、平得
 ・竹富村・・・竹富島、黒島島、新城島、波照間島、小浜島、鳩間島、西表島(西表、上原、崎山、南風見、仲間、古見、高那)
 ・与那国村・・・与那国島

◇1947年(昭和22年)-1948年(昭和23年):1市、3町
 ※範囲は村の時と変わらず。
 ・石垣市
 ・大浜町
 ・竹富町
 ・与那国町


◇1964年(昭和39年):1市、2町
 ※大浜町が、石垣市に編入
 ・石垣市
 ・竹富町
 ・与那国町







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