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―概要と先史時代―





昔から与那国は「どうに」(土根、大海原の中にぽつんと盛り上がった意)「どぅなん」とも呼ばれてきた。
他の八重山諸島と少し違った歴史となっている。
石垣島からも遠く、与那国島は八重山とは別格に扱われていたようなところもある。
台湾が近く、台湾との貿易により栄華を気付いた時代もあった。

国泉酒造所
有名な泡盛『どなん』という名前は、
”どなん島”という由来からついている








14世紀以前

■先史時代
与那国島では東部で、4,400年前のものが見つかっている。
他の八重山の島々と同じく、台湾やフィリピンなどの東南アジアの文明に近い生活様式であったものと考えられている。
ただ、トゥグル浜遺跡は年代から見て、有土器時代のとも言われていたが、石器なども見つかっておらず、
不明な点も多い。ただし、4,400年前のものであることが、最近の測定によってわかった。

また、与那国島はトゥグル浜遺跡を除き、11世紀以前の石器が見つかっていない。
遺跡の発掘状況から推測すると、三千年の間の歴史がまったく途絶えている。
これは疫病の発生や自然災害などによって文明が崩壊したのではないかと考えられている。
与那国の伝説には『火の雨』などがあり海底火山の噴火を想像させたり、地震による津波もたびたび発生していたのではないかと考えられている。

<先史時代の遺跡>

遺跡名

時代

時期

トゥグル浜遺跡

有土器時代

4,400年前




■与那国島の人のルーツ
ルーツは、南方の民族が住み着いたとも、台湾の民族が住み着いたとも言われる。また明などと貿易が始まるころは琉球人が中継の場所として与那国島にたちより、そのまま居ついたともいわれる。


八重山の歴史 - 先史時代 -










■グスク時代
人々は共同生活行うようになり、集団が形成されていく。土器や鉄器も使い始め、集団では支配者(按司(豪族のようなもの))が現れる。
けれど、与那国島では一島一首長のような政治的な支配者はまだ存在しない。争いも少なく穏やかな日々が続いていた。


■朝鮮漂流民による与那国島
朝鮮の『李朝実録』という膨大な史料の中に『朝鮮漂流民の八重山見聞録』がある。
1477年、朝鮮漂流民が与那国島に漂着し、その時、与那国の人たちを手厚く救護したもので、その時、与那国島の様子を次のように語っている。
与国島では、ご飯を炊く釜はなく、土の入物を作り、日で乾かし、ワラ火で燻った物を使う。5,6日使うと壊れてしまう。皿やワンなどはなかった。
又、耕作は、小さなヘラを使い、草を刈るには鎌を、木をきるには斧を使い、武器では小刀や小槍はあるが、弓矢やホコはないといっている。
つまりこの頃、大和では応仁の乱の頃で、大和に比べると、相当遅れた文化だったことがわかる。
1477年といえば、後述する与那国島のサンアイ・イソバが現れるころで、豪族が現れるころになる。

■与那国の按司
そうして、集団共同社会の中で勢力のある按司(豪族)が登場し始めたとされる。











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