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―与那国征伐―





1500年

■与那国征伐
宮古島の空広一族が、与那国へ攻め入る。2回にわたって行われた。

■八重山征伐後の与那国征伐
(第一回目の与那国征伐)
戦前は、八重山征伐(オヤケアカハチの乱)時に、与那国へも軍団がくることがささやかれ、何千とも言われる兵が与那国に攻めて来るのではないかと、
サンアイイソバは脅威を感じていた。
イソバは何とか和議により解決しようとしていたが、間に合わなかった。
そうして、1500年八重山征伐の余勢を駆って、宮古の空広(仲宗根豊見親)の嫡男、仲屋金盛の軍は与那国征伐へ侵攻した。
宮古軍は、未明に東崎南方海岸のカラグンに上陸。ダティグ村、ドナンバラ村を襲撃し、按司(イソバの兄弟)を殺し、集落を焼き払ってしまう。
そうして宮古軍は西へ侵攻していくが、異常に気づいたイソバとはち合わせてしまう。
イソバは、宮古軍を見るやいなや襲いかかり、宮古軍の一兵を捕まえる。一兵は実は大将 金盛であった。
イソバは兄弟の按司たちの安否を確認し、金盛は「殺した」と答えたが、殺したという言葉に凶変したイソバに、体を真二つに引き裂かれそうになったため、
苦し紛れに「殺していない、生捕した」と言い直す。イソバは金盛を地面にたたき捨て、急いでダティグ村へと走った。
命拾いした金盛と宮古軍は、そのまま西に走り、ダンヌ村 ティバル村へ火を放ち按司を殺してしまう。

一方、ダティク村に着いたイソバは、集落が跡形もなく燃やされ、兄弟は殺されていたことがわかる。ドナンバラ村も同じだった。
イソバは深く悲しみむ。そうして、つるしあげた一兵が金盛であったこと、生捕はうそであったことに気づいたという。

イソバは阿修羅のよう凶変していく。イソバ軍の反撃が始まる。
宮古軍は、イソバ軍の予想外の強さに、本来最終目的地であったサンアイ村に行くことを断念し、逆に逃げ返った。
金盛は宇良部岳の新川鼻付近に身を隠し、イソバの執拗な追跡に金盛は終始おびえた。
そうしてなんとか、アラガ(新川)の海岸まで辿り着き、金盛はイカダを作り逃げて行ったのだ。

イソバは戦いには勝ったが、集落も焼かれたこと、4人の兄弟を殺されてしまったことに深く悲しんだという。

<宮古軍の侵攻と、退散>








<主な登場人物>

【サンアイイソバ軍】    


     ◇サンアイイソバ
    

    兄弟を失いながらも金森の軍勢を撃破する

    ―サンアイイソバの兄弟―
    ◇ダティグ按司
    ◇ドナンバラ按司
    ◇ダンヌ按司
    ◇ティバル按司

    サンアイイソバの兄弟、4つの村の按司たちは、金盛に殺された
    


【宮古軍】      


    ◇仲屋金盛
    
 
4つの村を滅ぼしながらも、サンアイイソバにおびえ、最後は逃げ帰る
金盛は仲宗根豊見親(空広)の嫡男
空広は金盛の失敗を恥じて、鬼虎征伐まで口にすることはなかったという




■与那国の村について
サンアイ地区にはナウンニ村と その東隣にブシキ村があってサンバル村 ダンア村と流浪しさらにサンアイ地区へと移動してきた部族によってブシキ村は併呑されサンアイ村となったと言われている後にナウンニ村とサンアイ村は合併し島仲村となった


ダティグ村は今日の屋手久にあった部落であるが、後代になって遠見番小屋が置かれたところである。
ドナンバラ村は今日の南帆安に会った部落である。ドナンバラ・チディは按司の屋敷跡
ダンヌ村は今日の檀野にあった部落である。南方の山麓にアディガァラと言う、按司時代の用水場の跡がある。
ティバル村は今日の手原にあった部落であるが。西海特に台湾の島影を展望するのに最適の場所である。



■第一回目の与那国征伐の戦後
戦後、空広は、戦いに敗れた嫡男の恥を隠すため、首里に対しては動けず。
これが幸いして、サンアイイソバは、与那国島を首里の勢力下におくことを優位な形で進めた。
1510年には、サンアイイソバの盟友の慶来慶田城用緒の嫡男(祖納当)を、与那国与人につかせることに成功し、
自分の死後政権を首里に渡すことで、与那国島の安寧を図ろうと考えてた。
生前には慶来慶田城祖納当と、密談により合意している。その時の貢税についても合意していた。
そうしてサンアイイソバの死去すると、いったんは首里の支配下となった。



サンアイイソバの碑
サンアイイソバの碑はティンダバナタにある

ダティクチデイ
ダティクチデイのある場所は
昔ダティク村のあった場所 











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