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―鬼虎征伐―







1522年

■鬼虎征伐
(第二回目の与那国征伐)
サンアイイソバの死後、鬼虎が実質的には与那国島を支配した。鬼虎は首里に従わなかった。
1522年、首里より鬼虎征伐を命ぜられる。そうして、宮古の空広(仲宗根豊見親)軍は与那国島へ戦いに行くのだった。
この時、空広は奇策を使った。
22年前の失敗から、軍船で向かうには不利と判断。
軍団は商船を仕立てて、与那国へ向かった。
あらかじめ美女4名を与那国島に上陸させ、美女4人を鬼虎のところに向かわせ酒に酔わせ、酒に酔ったところで、
空広軍は入港し、鬼虎を攻め入った。鬼虎や鬼虎の賊も抗戦したが、金盛に首をとられ、アチタブル(地名:田原川中流域)で非業の最期を遂げた。鬼虎の首をとって賊も降参した。
この戦いの時、空広は既に70歳を超えていたというが、一度めの失敗の悔しさを思いに船に乗り込んだという。

<鬼虎征伐の概要図>

※写真は多良間島八月踊り(鬼虎征伐時に催す美女)









<主な登場人物>

【鬼虎軍】


◇鬼虎(うにとら)
 


酒に酔わされしまい、反撃するも最後は
アチタブルで討たれる
    


【宮古軍】


◇仲宗根豊見親(空広)
  
大将:先島一の実力者

-空広の息子たち-
◇仲屋金盛  ◇祭金 ◇知利真良

   嫡男    次男    三男

-金志川兄弟-
◇金盛   ◇那喜太知

鬼虎征伐後、金盛は、空広の命により、土原春源に暗殺される。

-八重山のメンバ-
◇祖納当   ◇ウヤミンシヤアカタナ

<西表島> <波照間島>
八重山へ働きかけ、八重山の有志たちを集めた
祖納当は慶来慶田城用緒の嫡子

-四人の美女たち-
◇住屋大阿智城◇砂川アフガマ◇砂川恋種司◇伊良部伊安登之於母婦
    
鬼虎の前で踊りを振る舞い、鬼虎を安心させた
アフガマ(姉)と恋種司(妹)は姉妹。八月踊では多良間出身とあるが、不明。

◇土原春源

<多良間島>
鬼虎征伐後、多良間で金志川兄を殺害
(内原のおぞる?)


-その他20名-
◇仲屋勢頭(崎原かあら、西崎のかあら?)、◇堀川のこむりさとなら、◇上里のあがりさとなら、◇与那覇むむたら、◇住屋おおづつの主司、◇保久利殿大氏、◇砂川あぶかまつづ主、◇もてあにぎやもり、◇いりのまんぎやり、◇わりみやの殿、◇赤宇立親、◇国仲のままら、◇ひやじのうまのこ、◇いやんとのおもふ、◇あげますのけざ、◇すしのざのぜん、◇はげみねのまんぎや、◇みなごじのざもり、◇かねやおおつづの主司、◇豊見かねせどら(豊見氏親?)

※"?"とあるのは、同一人物かどうか不明。















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