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―太平洋戦争―





1941年〜1945年

■太平洋戦争
1944年の十十戦争以降、米軍の激しい空襲に襲われた。10月13日には祖納や久部良南部落の集落も大半は焼失してしまった。12月には久部落の大半が全焼した。空襲ではカツオ漁船が撃沈され乗組員が全滅し、与那国島のカツオブシ工場も空襲で全てやられてしまった。人々は久部良岳などのガマなどで隠れ潜んで生活していく。
それ以後、終戦まで空襲は激しくなるばかりだった。
与那国島内の戦死者は38名ほど。


■従軍慰安婦船の爆撃事件
1944年12月台湾から連行された朝鮮人の従軍慰安婦53名を乗せた船が、宮古島に行く途中、久部良港に到着。夜出発する予定であった。しかし、アメリカの艦載機に発見され、機銃掃射とロケット弾の猛攻をくらい、46名の従軍慰安婦がなくなった。
従軍慰安婦は軍の機密事項であったため、おおっぴらには公表されていない。
遺体は、極秘のごとく火葬された。
与那国島内での戦死者が38名であるのに対して、46名の死者の数は入っていない。




■戦争マラリア
戦争時代の八重山の島々は、日本軍による住民の強制疎開が行われ、その疎開地は西表島や石垣島などマラリア有病地であったため、マラリアが避難住民の間に爆発的に流行し多くの住民がなくなったという歴史がある。

与那国島ではそのように強制疎開はなかったが犠牲者の数は多い。与那国島では十・十空襲以降、空襲が激しく、戦災で集落を焼かれてしまい、山に逃げ込み洞窟などで生活していたため、マラリアの感染源となるハマダラ蚊がにやられたため、相当数の人がマラリアに感染した。
また、治癒する薬もなく、多くの人が亡くなった。

<八重山のマラリア状況(1945年における)>

場所

人口

罹患数

死亡者数

石垣島

19,050

10,060

2,496

竹富島

1,430

77

7

小浜島

1,079

862

124

黒島

1,345

128

19

新城島

255

144

24

波照間島

1,590

1,587

477

鳩間島

560

526

59

西表島

1,627

327

75

与那国島

4,745

3,171

366

八重山全体

31,681

16,882

3,647

















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