―概要と先史時代―
竹富島は、六山の神たちが集落を作り、その後の人々は神たちを敬い生きてきた。
竹富島は石垣島にも近く、水もでて、平地で暮らしやすかった。人口も増加もめまぐるしく八重山の中心となった時期もある。
16世紀以降は人口増加が激しかった竹富島は、住民たちが、たびたび他の島に強制移住させらるという歴史をもつだ。
〜12世紀
■先史時代
竹富島には、有土器時代の遺跡や、無土器時代の遺跡が発見されておらず、いつの時代に人が住み始めたものかはっきりしない。
けれど、西表島や石垣島など他の八重山の島々では、多くの遺跡を残しており、人が住み着いていた同様の歴史もあったのではと推測できるかもしれない。
■グスク時代
12世紀〜16世紀
人々は共同生活行うようになり、集団の支配者が現れ出した。土器や鉄器も使い始めた。支配者は按司(豪族)といういわゆる豪族のようなもの。
けれど、八重山では一島一首長のような政治的な支配者はまだ存在しなかった。争いも少なく穏やかな日々が続いていた。
<グスク時代の遺跡>
<先史時代の遺跡>
遺跡名
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時期
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支配していた人(※)
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カイジ浜遺跡
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11世紀〜12世紀
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-
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新里村遺跡東側
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12世紀〜13世紀
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他金殿一族
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新里村遺跡西側
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14世紀
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根原金殿一族
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花城タカシル
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15世紀〜16世紀
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他金殿一族
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牛丘
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15世紀〜16世紀
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新志花重成一族
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※”支配していたと思われる人”は個人の見解。
八重山の歴史-先史時代-
■島の創設
竹富島の有史として初めて登場してくるのは他金殿(タキドゥン)だ。
琉球から来た他金殿が、八重山に下り、竹富島北方のイシャーフチ(礒の口)に到着する。そして湧き水を発見し、花城井戸を掘った。
その井戸の周りに新里村を築いて住み着く。そうして竹富島の歴史は始まったとされている。
それでタキドゥンの島と呼ばれたが、いつしか、「タキドゥン島」と呼ばれるようになり、『タケトミ島』となったといわれている。
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