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―太平洋戦争―




1941年〜1945年
■太平洋戦争
八重山では上陸戦は行われず、竹富島では他の島のように空撃も少なかった。
しかし、1945年3月以降は他の島と同様、空爆が激しくなり大変であった。機能しなくなった官公庁に、無法地帯、食糧不足と辛い時期があった。


■日本軍の配備
1994年南西諸島に沖縄守備のための第三十二軍が組織され、竹富島には、大石喬を隊長とする大石隊は米英軍の上陸を迎え討つために陣地構築などの準備を進め、新裕吉区長は大石隊への食糧・家畜の供出、軍労務者の徴発などに奔走し、島民の一部は万一に備えて西表島へ疎開させられた。

■空襲
1945(昭和20)年3月末から6月末へかけて、民間への米軍の艦砲射撃が始まり、大きな被害を受けた。



1945年
■戦争マラリア
戦争時の避難地は西表島や石垣島などマラリア有病地であったため、マラリアが避難住民の間に爆発的に流行した。
竹富島では、大石隊と島民の関係は比較的良好で、多くの島民はあらゆる方法で大石隊へ協力していた。
戦争によるマラリア被害も他と比べて比較的少ない。

<八重山のマラリア状況(1945年における)>

場所

人口

罹患数

死亡者数

石垣島

19,050

10,060

2,496

竹富島

1,430

77

7

小浜島

1,079

862

124

黒島

1,345

128

19

新城島

255

144

24

波照間島

1,590

1,587

477

鳩間島

560

526

59

西表島

1,627

327

75

与那国島

4,745

3,171

366

八重山全体

31,681

16,882

3,647











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