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概要と先史時代

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―現代―




1945年〜1972年
■琉球政府
戦後、米軍により統治されることとなった。1952年に琉球当初は、トカラと奄美、沖縄、宮古、八重山と4つに区分され、統治された。米軍の統治を反対する民衆に対して、試行錯誤に行政機関を考慮していき、1952年に琉球政府が発足する。
琉球はもともと独立した国家であって、日本が占領したものであるから、米軍は日本に返還することは考えず、沖縄を独立国家としようと考えていた。
その裏には、米軍が沖縄東アジアの軍事拠点としておこうとした経緯もある。
沖縄の人たちは米軍統治のこの時代を『アメリカ世(あめりかよ)』とも言っている。

軍国主義から民主主義へ大転換を強いられるなか波照間島も変化していく。

八重山の歴史 -琉球政府-

波照間島灯台
最南端の灯台は、1959年、
琉球政府により建設








1972年〜現在
■現代

■沖縄返還
1972年〜

1972年、5月14日。日本に沖縄が返還された。この後は、日本の島として歴史をたどることになる。

■電気の普及
他の島々から遠く離れている波照間島の電気の普及は遅かった。
1963年小さな発電器が置かれた。発電量は十分ではなく、24時間安定した電力が供給できるようになったのは、1970年代のことである。

■定期船の就航
1972年には、波照間海運が石垣島との定期便の就航を行った。島が便利になった。
その後、安栄観光も不定期便を就航し、2011年には安栄観光も定期便を就航したため過剰競争となり、波照間海運は2012年に休止した。
現在(2013年)は安栄観光が定期便を就航している。

■波照間島空港
1976年、波照間空港ができた。南西航空(現日本トランスオーシャン航空)により、石垣島との定期便が就航する。
海が時化ると船の定期便が欠航となってしまうために、欠航の少ない航空便は島民にとってたよりになるものであった。
また、観光客にとっても、メリットがあり、小さな飛行機で高度が低いところを飛び、窓からは八重山の島々が見え、美しい景観を眺めながら航行出来るというものであった。
しかし、2007年 2月に突然、路線の休止が発表され、その年の12月には路線が廃止された。
エアードルフィンによる不定期便の就航も発表されたが、翌年11月にはエアードルフィンが事業停止。現在(2013年)波照間島へは路線がない状態となっている。
竹富町から第一航空などに就航要請を行ったようだが、見込みはない状態だ。

波照間空港
今はひっそりとしている

波照間島の駐在所
この建物は、
残念ながらロケには使われなかった


星空観測タワー
最南端の天文台ができたのは、
1994年




■ドラマ『本日も晴れ、異常なし』
2009年、連続ドラマ『本日も晴れ、異常なし』のドラマが放映された。本日も晴れ、異常なしは波照間島をロケ地としており、ドラマでも波照間島の美しい景観が流れた。
観光客も増加した。

        
















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