―現代―
1945年〜1972年
■琉球政府
戦後、米軍により統治されることとなった。1952年に琉球当初は、トカラと奄美、沖縄、宮古、八重山と4つに区分され、統治された。米軍の統治を反対する民衆に対して、試行錯誤に行政機関を考慮していき、1952年に琉球政府が発足する。
琉球はもともと独立した国家であって、日本が占領したものであるから、米軍は日本に返還することは考えず、沖縄を独立国家としようと考えていた、
その裏には、米軍が沖縄東アジアの軍事拠点としておこうとした経緯もある。
沖縄の人たちは米軍統治のこの時代を『アメリカ世(あめりかよ)』とも言っている。
軍国主義から民主主義へ大転換を強いられるなか黒島も変化していく。
八重山の歴史 -琉球政府-
1972年〜
■沖縄返還
1972年〜
1972年、5月14日。日本に沖縄が返還された。現在に至る。
■730交差点
その後も道路は、アメリカ合衆国の交通法規に合わせ、車が右側通行していたが、1978年7月30日をもって日本の道路と同じく、車が左側通行になった。それを記念して石垣島市街地中心部の交差点が、『730』交差点と名付けられた。
■インフラの整備
黒島は1975年、海底送水が可能になった。また電気は1976年、竹富島からの海底ケーブルが完成し、安定した電気の供給が可能になった。
■小池百合子大臣来島
2005年12月、当時沖縄担当相だった、小池百合子氏が黒島に訪れた。小池百合子氏は石垣で開催された『美ら島ブランドシンポジウム』出席の合間であるが、離島の現状を理解するために、黒島診療所や緊急用ヘリポートを視察された。
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