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―太平洋戦争―




1941年〜1945年
■太平洋戦争
八重山諸島においては上陸作戦は行われず、空襲や艦砲射撃による攻撃を受けた。沖縄本土のように寛大な被害は受けなかった。
大きな被害を受けた1944年10月の『十・十空襲』などもあり、米軍による被害を受けなかったわけではない。
八重山では1945年初頭にも大きな被害を受けている。





1945年
■戦争マラリア
戦争時の避難地は西表島や石垣島などマラリア有病地であったため、マラリアが避難住民の間に爆発的に流行したとされる。
黒島では戦争マラリアにより多くの被害を受けている。

黒島では、中野学校出身の山川敏男(偽名)なる人物が1945年1月に青年学校指導員として上陸した。
その後4月上旬、黒島に15人ほどの日本兵が食料確保のために上陸した。すると、山川は日本兵と行動を共にするようになり、黒島の住民を強制疎開と称し、強制移住させた。また、牛、豚や鶏を上陸するアメリカ軍の食料になっては困るとして、15人の日本軍と同行した解体業者が牛や豚を殺して、その肉を乾燥肉や塩漬けにして石垣島へ運んだという。
その結果、多くの島民が疎開先の石垣島北部や西表島でマラリアに罹患し、死亡した。終戦までのわずか3ヶ月間の疎開中に1600頭いた牛は、殆ど全滅の状態であった。

<八重山のマラリア状況(1945年における)>

場所

人口

罹患数

死亡者数

石垣島

19,050

10,060

2,496

竹富島

1,430

77

7

小浜島

1,079

862

124

黒島

1,345

128

19

新城島

255

144

24

波照間島

1,590

1,587

477

鳩間島

560

526

59

西表島

1,627

327

75

与那国島

4,745

3,171

366

八重山全体

31,681

16,882

3,647



波照間島の歴史-戦争とマラリア-












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