―概要と先史時代―
鳩間島も他の八重山と同じような歴史をたどったと思われる。
鳩間島の有史は、16世紀以降で、八重山の人口増加が激しかったころに、まだ余力のあった鳩間島へと、
強制移住がはじまることとなる。
けれど、鳩間島は土地もせまい上に、良質な水もでず、耕地もなく、災害も受けやすい場所であった。
それゆえに、住民は、西表島への通耕をしいられたり、明治以降は鰹漁などで栄えている。
しかし、戦後は、不便さも重なり、人口は減少する一方である。
〜15世紀
■先史時代
鳩間島には、無土器時代の遺跡が発見されている。紀元前500年以前からも人が住んでいたと思われる。また鳩間中森はグスク時代の遺跡であり、按司(豪族)が存在し、人々が集団生活をするようになっていった形跡もみられる。
<先史時代の遺跡>
遺跡名
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時代
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時期
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鳩間大泊貝塚 |
無土器時代の後期 |
5世紀以前
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鳩間中森貝塚 |
グスク時代 |
13世紀〜16世紀
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八重山の歴史-先史時代-
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<鳩間島中森>
鳩間中森は鳩間中森貝塚であった
1956年に発掘、
土器、貝殻、魚の骨がみつかっている
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