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―太平洋戦争―
1941年〜1945年
■太平洋戦争
八重山では上陸戦は行われなっかった。鳩間島では他の島のように空撃も少なかった。
しかし、1945年3月以降は他の島と同様、空爆が激しくなっていく。記録にも無数の爆弾が落とされたとある。
戦死者は戦争マラリアでの被害を合わせると、鳩間島で100人ほどの人が亡くなった。
■空襲
1945(昭和20)年3月末から6月末へかけて、民間への米軍の艦砲射撃が始まり、大きな被害を受けた。
1945年
■戦争マラリア
戦争時の避難地は西表島や石垣島などマラリア有病地であったため、マラリアが避難住民の間に爆発的に流行した。
鳩間島では、1945年には島の人口560人のうち526人が発病、59人が死亡した。
<八重山のマラリア状況(1945年における)>
場所
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人口
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罹患数
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死亡者数
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石垣島
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19,050
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10,060
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2,496
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竹富島
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1,430
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77
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7
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小浜島
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1,079
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862
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124
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黒島
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1,345
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128
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19
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新城島
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255
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144
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24
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波照間島
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1,590
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1,587
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477
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鳩間島
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560
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526
|
59
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西表島
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1,627
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327
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75
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与那国島
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4,745
|
3,171
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366
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八重山全体
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31,681
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16,882
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3,647
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