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―太平洋戦争―
1941年〜1945年
■太平洋戦争
新城島も、1944年10月以降空爆が激しくなり、空爆によりかなり被害を受けたという。
また、戦争マラリアによっても多くの被害も受けている。
八重山の歴史 -戦争時代-
1945年
■戦争マラリア
戦争時の避難地は西表島や石垣島などマラリア有病地であったため、マラリアが避難住民の間に爆発的に流行した。
新城島民は大原集落への疎開を命じられた。
マラリアにかかる者が多発し、1945年には島の人口255名中、24名が死亡した。
<八重山のマラリア状況(1945年における)>
場所
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人口
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罹患数
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死亡者数
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石垣島
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19,050
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10,060
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2,496
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竹富島
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1,430
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77
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7
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小浜島
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1,079
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862
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124
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黒島
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1,345
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128
|
19
|
新城島
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255
|
144
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24
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波照間島
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1,590
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1,587
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477
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鳩間島
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560
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526
|
59
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西表島
|
1,627
|
327
|
75
|
与那国島
|
4,745
|
3,171
|
366
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八重山全体
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31,681
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16,882
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3,647
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八重山の歴史 -戦争時代-
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