<渡嘉敷島の古い時代>
7000年前
船越原 爪形文土器(沖縄ヤブチ式土器)
BC2200年〜2500年
阿波連浦貝塚
1187 慶良間から初めて王様に貢ぎ物
<渡嘉敷島のグスク時代>
14世紀
三山(北山・中山・南山)分立時代
按司の世。このころ久米は各地に豪族があらわれ争乱が続く。
1372 明国の王が、琉球に従うよう使い。
琉球中山の王が民国に貢物
※この当時阿波連地区は、清や明国に進貢船が停泊する、
風街の港として栄えた。
1429 尚巴志が三山を統一。
1470 金丸が王位につき新しい琉球王朝になる。(第2尚氏)
1500 八重山でオヤケアカハチの乱勃発。
1531 おもろそうし第一巻編集。
慶良間は別名『群れ島』とよばれていた。
1591 豊臣秀吉が薩摩を通して、朝鮮出兵を求める。
<渡嘉敷島の島津藩支配下時代>
1609 島津摩藩が琉球に侵行。
貢納布制度によりより重い税をかせられる。
1624 赤間山に烽火(のろし)台を設置。(烽火による通信)
1628 尚氏金武王子朝貞、薩摩から鹿を移入し古場島(久米島)に放飼
(ケラマ鹿の祖先)
1628 慶良間群両群下知役をせっけん
1691 米島や慶良間に大和横目という役人をおき、唐船の荷物を看視。
1762 渡嘉敷村新垣仁也、清から唐紙の製造を習得し、
薩摩に渡り唐紙を国内に広める。
1782 嘉敷村の新垣仁也の功労を褒奨。(新垣仁也1802年没)
<渡嘉敷島の近代>
1853 ペリー来航。
1855 ジョンロジャス提督が渡嘉敷島に上陸して測量。
1872 琉球王国が琉球藩となる。
1879 琉球藩から沖縄県になる。
1886 間切番所内に渡嘉敷小学校設立。
1903 座間味村鰹漁始まる。
1905 渡嘉敷村鰹漁始まる。
1912 県議会設置
1919 衆議院議員選挙
1920 渡嘉敷島でも衆議院議員選挙の投票が始まる。
<渡嘉敷島の戦争時代>
1941 第二次世界大戦勃発。
1944 日本軍が配備
1945 3月23日激しい空襲
3月27日米軍渡嘉敷、阿波連、西部海岸より上陸し、占領。
3月28日住民329人が西山で集団自決。
5月頃 伊江村の住民を渡嘉敷村に移送。
6月23日沖縄終戦、8月15日敗戦。
(8月村民下山)
<渡嘉敷島のアメリカ統治時代〜現代>
1946 伊江村民1700人、沖縄本島に引き上げる。
1946 アメリカ軍政府は沖縄民政府を作り知事を任命
1952 沖縄民政府は琉球政府となる。
1958 Bドル発行
1962 前島(渡嘉敷村)住民36名、沖縄本島に転出。無人島となる。
1972 日本復帰。
おきなわの離島 |
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慶良間諸島は古くは、琉球と中国大陸の貿易の潮待ちの島として栄えたところ。
ただ、戦争時代は米軍上陸の拠点となり、悲惨な戦争の惨劇を経験している。この事実は決して忘れないように心にとめておかなけらばならない。