<久米島の古い時代>
2万年前
下地原原人
8世紀の米の遺跡が
島西部のヤジャーガマや下地原の洞穴から発見。
古くから米が作られていたと考えられる。
714 「日本書紀」に球美の人が大和に行くと記される。
1264 中山へ入貢。
<久米島のグスク時代>
14世紀
三山(北山・中山・南山)分立時代
按司の世。このころ久米は各地に豪族があらわれ争乱が続く。
1429 尚巴志が三山を統一。
伊敷索按司が久米島を支配。
長男は久米中城、次男は具志川城、三男は登武那覇城の城主と して君臨。堂の比屋は久米中城城主の家来頭として君臨。
15世紀半ば
堂之比屋が明(中国)に留学し、養蚕技術を持ち帰り、
やがて粗布を織り久米島紬の起源となった。
1470 金丸が王位につき新しい琉球王朝になる。(第2尚氏)
1500 八重山でオヤケアカハチの乱勃発。
久米島の君南風の援軍した。
1511 尚真王が久米島の各地の按司たちを討伐。
久米島の按司時代の終わり。
1591 豊臣秀吉が薩摩を通して、朝鮮出兵を求める。
<久米島の島津藩支配下時代>
1609 島津摩藩が琉球に侵行。
貢納布制度によりより重い税をかせられる。
<久米島の近代>
1853 ペリー来航。
1868 仲里間切・具志川間切となる。
1872 琉球王国が琉球藩となる。
1879 琉球藩から沖縄県になる。
1908 仲里村・具志川村と村制が施行。
1912 県議会設置
1919 衆議院議員選挙
1920 久米島でも衆議院議員選挙の投票が始まる。
<久米島の戦争時代>
1941 第二次世界大戦勃発。
6月23日沖縄終戦、8月15日敗戦。
<久米島のアメリカ統治時代〜現代>
1946 アメリカ軍政府は沖縄民政府を作り知事を任命
1952 沖縄民政府は琉球政府となる。
1958 Bドル発行
1972 日本復帰。
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