―概要と先史時代―
島全体が小高い丘になっていて、耕地があり水のある小浜島は、人が住むのに最適な場所であった。
その小浜島も他の八重山の島々と同じように歴史をたどる。
ただし、石垣島のように八重山の中心的な島でなく、歴史的な史実も記した文書も少ない。
グスク時代の英雄が存在しないなど、不明な点が多いのも実情だ。
12世紀以前
小浜島では、無土器時代の貝塚2ヶ所と、グスク時代の遺跡が6ヶ所発見されている。
しかし、八重山では無土器時代より古いとされる、有土器時代の遺跡は小浜島では発見されていない。
西表島や波照間島のように、小浜島にも南方の民族がたどりついた、もしくは西表などからやってきたとも想像できるが、遺跡は発見されていない。
<小浜島の遺跡や貝塚>
遺跡名
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時代
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備考 |
トゥーマール貝塚 |
紀元前500年以前 |
※無土器遺跡
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南原田原遺跡 |
紀元前500年以前 |
※無土器遺跡
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嘉弥真遺跡 |
4世紀〜19世紀 |
※嘉弥間島の遺跡
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ウティスク山遺跡 |
12世紀中盤〜17世紀初め |
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ユンドゥレースク遺跡 |
12世紀中盤〜17世紀初め |
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フルロウ山遺跡 |
12世紀中盤〜17世紀初め |
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イハマムル遺跡 |
12世紀中盤〜17世紀初め |
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ニシンダ原遺跡 |
17世紀〜19世紀 |
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小浜旧部落遺跡 |
17世紀〜19世紀 |
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■小浜島で最初に人が住んだ場所
小浜島で、最初に人が住んでいたのは、今の集落と全く違い、海岸沿い。
遺跡からは、トゥーマールビーチや、南原田原海岸に古代人がたどりつき、住んでいたと考えられる。
その後も、今の集落と違い小浜島には、海岸沿いに集落があった。
13世紀〜14世紀末頃
小浜島では、グスク時代を示すものは遺跡しかない。いくつかの集落が点在し、住民たちが平和に過ごしていたものと思われる。
有名な按司がいたという伝説もない。
オヤケアカハチの乱のときには、石垣や西表のいずれかの按司の勢力下であったと思われる。
尚、小浜島南部にある『オヤケアカハチの森』は、戦いに負けたアカハチが逃げ込んだ小山とされているが、
オヤケアカハチは、戦いに敗れて底原(石垣島)の山の中に逃げ込み、首里軍に捕まえられ討たれており、逸話である可能性が高い。
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