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   神の島(沖縄)  
   

神の島(沖縄)
沖縄は、琉球国として江戸時代までは大和とは違う歴史を歩んできた。大和よりも信仰は深く、大和とも少し様相が異なる信仰がある。神の島(沖縄)としては琉球王朝が神として崇めていた久高島が有名。古宇利島やアマンジーは神が下りてきた島と言われ、琉球のもととなった。大東島は、うふあがりの島として、いにしえの時代から『東の海の彼方には幸せをもたらす神がいる』と信じられてきた。




神の島(沖縄)
 島名 場所 内容
 降神島  伊是名村
 伊是名島の東に位置する島。伝説では、降神島に降りた神が夜を明るくしたといわれる。
伝説では、神はまず降神島におりた。そこから伊是名のアラハ御嶽に行き夜が明るくなったが、そのあとクマヤ洞窟にこもってしまったために、再び真っ黒な夜になったという。そこで、他の七人の神様が相談の上、どうか世の中を明るくして欲しいと頼み込んで、クマヤ洞窟にいた神様は洞窟から出てきて、次第に夜が明けて、世の中が明るくなったという。
 古宇利島  沖縄諸島  古宇利島には伝説がる。ある日、天から全裸の男女の神が降りてきて、この地で暮らし始めたという。
その二人は当初男女の違いがわかっていなかったが、ジュゴンの交尾を見て、男女の違いを知り、琉球の祖先になったという。沖縄版アダムとイブの伝説になる。
 島内には御嶽がたくさんある。
 浜比嘉島  うるま市
 浜比嘉島は琉球の起源の地とも言われ、南部にある久高島と並ぶ神聖な島でも知られている。
御嶽などのパワースポットも多く、神が住む島といわれる。
『シルミチュー』は琉球開闢神話が伝わるパワースポット。地元の人から大事にされているパワースポットで、108段の階段を上って、聖域の洞窟にたどり着く。洞窟は、球開闢の祖神であるアマミチューとシルミチューが住んだ場所だという。2人はここで5の子宝を授かったという。
その他の聖域として、アマミチューの墓は浜比嘉島沖の小島のアマンジーにあり、カジュマルに囲まれた守り神、東の御嶽と呼ばれる『シヌグ堂』がある。
 アマンジー  うるま市

 浜比嘉島沖の小島で、海中道路で歩いて行ける。アマンジーにはアマミチューの墓がある。
 久高島  南城市  琉球の創世神アマミキヨが天からこの島に降りてきて国づくりを始めたという、琉球神話聖地の島。
島全体が神聖な場所とされる聖なる島で、琉球王朝時代から現代まで信仰と伝統が守られてきた。
琉球王朝では、最も大事にされていた聖地、斎場御嶽(南城市)があるが、ここから見て東の海に死後の世界『ニライカナイ』があると考えられている。その途中にある神聖な島が『久高島』だという。
斎場御嶽には久高島から運ばれた石が敷き詰められているという。
久高島は琉球王国時代には最高の聖域として位置づけられており、国王が聞得大君を伴って久高島に渡り、礼拝を行っていた。
久高島ではその昔、男たちは成人すると漁師になり、女たちは神女になるという。
久高島は12年ごとに行われるイザイホーは、30才以上の既婚女性が神女になる就任儀式がある。次は2028年になるが、1978年から続けて2回行われておらず、存続が危ぶまれている。
久高島には御嶽や聖地が多く、男性禁止の御嶽も多い。
 北大東島  北大東村  大東島は、うふあがりの島として、いにしえの時代から『東の海の彼方には幸せをもたらす神がいる』と信じられてきた。けれど、それは大東島が発見されるまで、まだ見ぬ伝説の島としてのものであり、島自体は聖域でもなく、信仰が強いという島でもない。八丈島と琉球からのそれぞれの移住者があり、大和と琉球の文化の両方を見ることができ、パワースポットとして、少し和風な秋葉神社を見ることができる。
 南大東島  南大東村  北大東島に同じく、うふあがりの島であった島。
島自体は聖域でもなく、信仰が強いという島でもないが、八丈島と琉球の文化が残る。
南大東島にあった浄土宗の寺は廃寺となったが、大東神社など沖縄では珍しく和の文化を感じる場所がある。
 大神島  宮古島市
 地元では神のいる島として、古くから崇められている。聖域も多く、人々が入ることが禁じられている場所が多い。大神島には神秘的な風習や伝説がたくさんある。
大神島には『ウヤガンサイ(祖神祭)』という神事、秘祭がある。人々が夜通しに御嶽にこもり、神事が行われるという。島の女のみしかこの祭に参加することはできず、島民ですら撮影はできない。撮影したものは死にいたるという。大神島にはルールを守らなかった祟りとして、以下の例がある。
・聖域への出入りと、秘祭の撮影
1939年社会学者の河村只雄さんは島に忍び込み、島の聖域探検したり、秘祭である祖神祭を撮影した。
そうすると、その後、大神島では疫病がはやり、大神島の最高権威である大司の家族は次々と亡くなり、河村只雄さんも2年後に47才の若さで亡くなったという。
・道路工事の神の怒り
1980年頃、大神島では島一周道路を建設中に、大きな岩をブルドーザーで砕こうとしたところ、ブルドーザーの爪が折れてしまったという。その後、工事関係者らが次々と原因不明の病気に倒れ、その病気は島民にもふりかかり、工事は中断されたという。

 新城島上地島  竹富町  人の立ち入りが禁止されている御嶽など聖域もあり、撮影が許可されていない神聖な伝統行事も残っている。
 波照間島  竹富町  八重山諸島の中でも神行事が多い、神の島として知られている。豊年祭であるムシャーマをはじめ、年中神事が催されている。日本最南端の有人島である波照間島には、島のはるか南の沖に楽園の島『パイパティローマ』が存在するという伝説がある。パイパティローマとは『南波照間』という意味で、波照間のずっと南に楽園の島があるとされた。1648年には、波照間島の住人約40名が、厳しい重税に耐えかねパイパティローマを目指したという。
 仲の神島  竹富町  西表島から西に16キロメートル離れた絶海の孤島に浮かぶ。『仲の御神島』などとも呼ばれ、そこには神が住んでいるとも言われていた。

※その他、与那国島の立神石など、信仰対象となる岩の島もある。




 

      
             
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