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西郷隆盛上陸の地

沖永良部島の島の散歩


西郷隆盛上陸の地の説明文。西郷隆盛上陸の地の石碑を見ても「へぇー。」とぐらいしか思わないが、説明文には当時の様子が生々しく書いてあって、関心させられる。

沖永良部での歩み『西郷隆盛上陸の地』

沖永良部島の伊延港近くにある名所。流罪となったとなった西郷隆盛が上陸した場所に石碑が建っている。西郷隆盛は、奄美諸島の島々で江戸時代末期の5年間を過ごした。

江戸の末期、第13代将軍家定の後継争いに、薩摩藩主斉彬が推していた一橋派が敗れた。大老、井伊直弼は敗れた一橋派の弾圧を始める。幕政の改革をはかった西郷らは幕府の追及をうける身となる。
薩摩藩は、西郷を幕府の目から隠すべく、西郷に職を免じ、約3年間、奄美大島へ潜在させることになる。奄美大島では、島妻、愛加那と2人の子供をもうける。
3年後に薩摩に帰った西郷は、斉彬に変わって藩の実権を握っている久光と折が合わず、寺子屋騒動を機に、今度は徳之島へ流されることになる。しかし追い討ちをかけるように沖永良部島遠征が命ぜられ、沖永良部島に流される。

奄美大島と、徳之島・沖永良部島で違うのは、奄美大島では薩摩藩が幕府から身を隠すためで生活水準も高かったのに対し、徳之島・沖永良部島では罪人として扱われたため、牢獄生活を送り、厳しい生活をしていたことだ。沖永良部島に流された当初は、雨風の漏れる牢ゆえに体を害していたというが、持ち前の人望から西郷の協力者も現れ、厳しい牢獄生活も絶えた。
徳之島にいたのは2ヶ月、沖永良部島にいたのは1年7ヶ月だった。

⇒◇西郷隆盛のあしあと(島物語)
⇒◇西郷隆盛のあしあとまっぷ

西郷隆盛上陸の地の石碑。サトウキビ畑の中にドーンと建っている。

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■西郷隆盛上陸の地のデータ

 種別: 歴史の散歩。
 住所: 大島郡和泊町
 見学: 自由見学






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