俊寛堂。俊寛堂は、集落から2kmくらい。冒険ランドの近くで、竹やぶの中にある。
途中わき道にそれって、小道を歩いていく。
俊寛は、平判官康頼、丹波少将成経と凶暴し、平氏打倒の陰謀をはかった。
治承元年(1117)平清盛は、鹿ケ谷荘(鹿の谷荘)での陰謀を知り、平康頼、丹波成経、俊寛を鬼界ヶ島(今の硫黄島)に流刑する。翌年、徳子の安産祈願のための大赦により、康頼、成経の2人は赦免されたが、俊寛だけは許されなかった。俊寛はその後自ら食を絶し、治承3年(1179)37歳で亡くなった。
島の人は、俊寛の死を哀れみ、三人を合わせて祀って俊寛の居住地に御祈神社を建てた、これが俊寛堂だ。
硫黄島では俊寛をかかわる、名所・史跡は多々あり、
俊寛堂の他に、俊寛像、俊寛の涙石、俊寛の投筆岩などがある。あと、総合開発センターの中には、俊寛像のミニチュアがある。
イベントとしては、5月に俊寛祭。8月には柱松の行事があるが、それも俊寛の霊を祭る、盆の行事になる。
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