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櫛匣の局(くしげのつぼね)の墓所。
櫛匣の局の墓所は、小学校の近く、安徳天皇の墓所の場所から更に森の中に入ったところにある。
櫛匣の局とは、平家資盛の娘で、安徳天皇の后になった人。
安徳天皇とは、源氏と壇ノ浦で戦い敗れた平氏とともに、入水して命を絶った。しかし、本当は、入水したのではなく、ここ硫黄島に逃げ延び、一緒に逃げた平資盛の娘(櫛匣の局)を后とした。
ここで不思議に思うのは、息子の隆盛や子分人たちは、安徳天皇のすぐそばに墓があるのに、
妻である櫛匣の局の墓は、数十メートル離れた奥に墓がある。
昔は女性の身分がかなり低くみられていたのだろうか。夫婦なんだからもっと近くに眠らせてあげたいと思ってしまうところ。
墓の前の説明文には、櫛匣の局は1,198年生まれ、1,265年68際にて没す。1,213年15歳で櫛匣の局となる。と書いてある。
※歴史上、小さい時に壇ノ浦に入水しなくなった、安徳天応に后はいなかった。
壇ノ浦でなくなった平資盛も、子供は男が2人だけで、娘の記録はない。
安徳天皇の硫黄島説が、伝説であるとするならば、
櫛匣の局は、伝説だけの世界の人物となる。
ちなみに、”櫛笥(櫛匣)”とは化粧道具を入れておく、唐風の美しい箱の意。
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