徳躰神社(とくたいじんじゃ)。
徳躰神社は、集落から約1kmほど歩いたところ、冒険ランドに行く手前、椿ロードにある神社。
神社といっても、鳥居や境内はない。
野原の奥に石祠(せきし)が立てられている。草が生い茂り、荒れ果てた地にあるけども、石祠にいく道はきれいに草が刈られていた。
この神社は、悲しい遣唐使を祀ったもの。
昔、遣唐使が始まったころ、軽野大臣(かるのおとど)は、唐に渡った。しかし唐の皇帝の怒りにふれ、毒薬を飲まされ、言葉のいえない灯台鬼にされてしまう。灯台鬼とは文字通り頭に燭台を乗せられてたたずむ『人間燭台』のこと。
その後、帰らぬ父を想いつつも、後年、今度は息子が遣唐使として中国へ渡る。
祝宴の時、頭に燭台をのせて立っている灯台鬼が息子に近寄った。目にいっぱいの涙を浮かべながら、指を噛んで傷つけ、その血で、床に、
燈し火の影恥かしき身なれども 子を思ふ闇のかなしかりけり
と書いた。
春衡は、ハッと驚き、これこそ帰らぬ父の姿よと思い、唐帝に無理にお願いをしてその灯台鬼となっている父を貰い、日本めざして帰国の途に着いた。
しかし、船は嵐にあい漂流し、硫黄島の坂元(坂本)つき、父は衰弱のあまり息絶えた。
父をここに葬り、その霊を徳躰神社とし石祠を建てたという。
軽野大臣、灯台鬼の話は、『源平盛衰記』(鎌倉時代)に記されている。この物語は史実ではないという見方のほうが強い。この徳躰神社の伝説も、硫黄島にある平家伝説にかかわるものなのかもしれない。
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