硫黄島の小学校の近くに安徳天王の墓所がある。
安徳天皇とは、源氏と壇ノ浦で戦い敗れた平氏とともに、入水して命を絶ったとされる人。
でも本当は、入水したのではなく、ここ硫黄島に逃げ延びて、余生を過ごしたという。
安徳天応の墓の周りには、息子の平隆盛や、そのた平吉資や平ら吉広のなどの墓がある。
そして、安徳天皇の后、櫛匣の局(くしげのつぼね)の墓が少し離れたところにある。
これだけ、墓がそろっていると、本当に安徳天皇は硫黄島に逃げ延びたんだろうかと思ってしまう。
しかし、これらの平家伝説は、全国各地に残っている。源氏物語で入水されたとする壇ノ浦以外にも、全国に120箇所にも及ぶという。共通するのは安徳天皇、平知盛、経盛、維盛、清経、資盛などの著名人ばかり。硫黄島だけでなく、トカラや奄美など薩南諸島では平家伝説が多い。
有力者たちが、自分たちの権威付けのために行ったものなのか、あるいは実際に逃げてきた平氏たちが偽りを語ったのかもしれない。
安徳天皇は硫黄島にきて62歳の余生を過ごしたという。
硫黄島では、安徳天皇の子孫にあたるのが、硫黄島の長濱家だとされている。
長濱家では、あかずの箱というものを持っており、
江戸時代に、薩摩の島津家があかずの箱を奪ったが、その箱の中には平家も持っていた三種の神器のうち、壇ノ浦の戦いで海底に沈んだとされる宝剣が入っていたのではないかと考えられている。
けれど今は、本当の史実を説明するものはない。
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