伊江島



伊江島と戦争

【伊江島と戦争】
伊江島は第二次世界大戦、大きな惨劇のあった島のひとつである。
1942年第二次世界大戦時に、アジア最大を誇る滑走路が2基しかれた。その時から伊江島は日本軍の重要な拠点になったのである。

戦争の悪化するなか島内の老人や子供は県外に強制疎開させられた。日本軍の重要な拠点ゆえに、米軍の攻撃もひどく、主要な建物は殆ど空爆で壊された。住民は洞や壕へ逃げまとう。米軍占領間近、住民の男女構わず竹槍で応戦させられ、それもつかの間、日本軍による強制自決、米軍による攻撃、つまり日米両軍による大量虐殺をうけることになる。伊江島の住民は地獄をみたのである。

1945年4月22日米軍に占領され、伊江島としての戦争は終わった。そして、捕虜として生き残った住民約2000人は、米軍によって慶良間諸島の島々に強制移住させられることとなる。


※第二次世界大戦の面影を残す名所は以下の場所

◆米軍演習地
今も島の西部の広い面積を覆う。勿論入れない。

◆芳魂之塔
伊江島の慰霊塔・納骨堂。いまでも戦争による身元のわからない遺骨がたくさん残されているという。

◆公益質屋後
建物がことごとく焼き払われたなかで、かろうじて残った建物。

◆ヌチドゥタカラの家
ヌチドゥタカラとは『命の宝』と言う意味。戦争中の遺品・生活品・米軍の銃弾など戦争を記録する反戦資料館。要予約→0980-49-3047

◆アーニパイル記念碑
米ジャーナリスト、アーニパイルを偲ぶ記念碑。アーニパイルは日本軍に狙撃され、死亡。アーニパイルは民衆にも兵士にも親しまれていた。



                      

                             | 島の散歩情報 |