藤井富伝は1827年大島郡赤木那に生まれた。1876年、50歳のときに、1813の御岳の大噴火で無人島となってしまった諏訪之瀬島の開拓をしようと、初めて諏訪之瀬島に渡った。そうして何度かの曲折をへて、1884年のとき、同志6人とともに島へ渡ったが、降灰と、風災の被害をうけ耕作に失敗。3年間は海産物や野草を食べ飢えをしのいだという。野草の毒のために2人死んで、富伝のほか、3人残された。その後、数々の困難を乗り越えて、1894年には、豚、牛、猫ともども、35世帯の集落を作り上げたという。富伝の意地である。
八幡神社の近くに富伝の墓がある。これといった飾りがあるわけでもなく、見た目は普通の墓だけど、なにか男のロマンが偲ばれる場所だ。
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