世之主の墓は、沖永良部島の中央にある。世之主(真松千代)は西暦1400年ころ、沖永良部島を統治していた人。
世之主、真松千代の母は沖永良部の人。琉球が北山、中山、南山と別れていた時代、北山に働きに行ったとき、北山王に気に入られ、妾の女となり、子供を身ごもってしまった。真松千代の母は沖永良部へ帰り、真松千代を生んで育てたのだ。真松千代が17歳になったとき、真松千代は北山王に会いに行き、子供として認められ、沖永良部島の世之主となったのだ。
世之主のまつりごとは民衆に慕われる立派なものだったという。優秀な四天王と呼ばれる4人の家来もいた。世之主は中山王の姫を奥方(真照間慕之前)をもらい、嫡子を1人もうけたという。
しかし、琉球の北山、中山、南山の戦いが激しくなり、中山は南山を陥れ、北山も滅ぼした。中山は世之主の奥方が中山王の姫であるため、沖永良部島へ和睦の船を差し出したが、世之主はこれを軍船と勘違いし、大国には勝てないと判断し、自害したという。
また、別の説では、北山の和睦の船に四天王たちが様子をうかがいに行ったところ、北山から酒で歓迎を受け、四天王がなかなか戻ってこないため、世之主が四天王たちが討たれたものだと勘違いし、自害したという説もある。
世之主の墓には、中央に世之主と、殉死した奥方、嫡子の3名が、四隅には殉死した家来の四天王の4名(後蘭孫八、屋者真三郎、西目国内兵衛、国頭弥太郎)が眠る。
世之主の墓の近くには、世之主をまつる世之主神社があり、知名町住吉には四天王を祭る四並蔵神社がある。
|