新城の島民の現状

【新城の島民の現状】
かつては、下地と上地で700人以上の人口があった。
”パナリ焼き”が有名で、八重山唯一の陶器であった。両島には小学校もあったとか。かつては上地島より、下地島のほうが人口が多く、新城島の名前の由来は、下地に新城村という栄えた村があったから。
新城島も戦争ではかなり被害を受けた。1939年頃から西表南風見田に強制移住がはじまり、過疎化が進んでいった。
過去に「水のない島」と呼ばれたことがあり、水道が引けたのは1975年。
電気がひけたのが(24時間点灯可能になったのが)1988年というから、大変な環境である。

島のおじい言わく、
「電気も水もない。耕地もぜんぜん作物が育たない。こんな島だれが住むものかと。。。閉鎖的ところがあり、島の人はよそから来た人に絶対に土地を売ったりしない。過疎化が進んであたりまえだ。」
とか。

なんかとても寂しくなった。きれいなビーチとは裏腹に、あまりにも静か過ぎる集落。廃墟の家々。今後この島はどうなってしまうんだろう。


                      

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