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   無人から復活した島  
   

無人から復活した島
現在多くの島が、無人している現状がある。しかし、故郷の島をなんとか復活させようと、思う人がいる。昭和時代、または平成の時代、いったん無人になってしまった島を、Uターンさせて有人島へと、復活させた島々を紹介。
新たな有人島の時代がいつまで続くかわからない。けれど、彼らに栄誉をたたえたい。


以下、2020年4月現在。


無人から復活した島
 島名 場所  無人化時期(頃)
 新島  鹿児島県桜島町  別名は燃島。桜島のふもとにあり、桜島の1780年の噴火でできた島だという。1800年桜島から24名が移住し、島の歴史は始まった。島の人たちは漁業やサトウキビで生計をたてていた。戦後、昭和26年には約250名も住んでいたというが、年々減少し、平成17年には5人まで人口は減少。平成25年8月には全員が島外へ移住し、無人になってしまった。

 しかし、2019年7月23日に元島民の女性の方の夫婦が転入届を出し、新島の定住者となり、再び人口2人の有人島となった。NPO法人ふるさと再生プロジェクトの会によって散策道も整備されていっており、島には畑も復活している。新島には定期船も出ている。

 現在人口2人(2019年10月現在)

  オーハ島


 沖縄県久米島町  久米島の沖合に浮かぶ島。
久米島―奥武島―オーハ島と、連なっており、奥武島から昔は歩いていくことができた。
渡名喜島や粟国島を中心とする移住者が漁業を生業として、1962(昭和37)年には17世帯123人もの人が住んでいたという。
しかし、年々、人口が減少し、平成27年頃には無人化した。
しかし、令和元年頃、一世帯、人家族が移住し、再び有人等になった。

現在人口8人
(2022年10月現在)
前島  沖縄県渡嘉敷村


 令和2年頃、再び無人化した
<参考>
島はカツオ漁が盛んであり、第二次世界大戦以前は200人ほどの人が住んでいたという。
戦後の引き上げにより、島は380人までに増加。インフラなどの設備も整備されていった。
しかしカツオ漁が衰退し、島から離れている人が増えていった。昭和37年までには36人の住人になった。
昭和37年、発生した台風の被害によって、残った住民36名全員が沖縄離島に移住して無人島になった。

 無人の時代は続いたが、元島民の有志が昭和55年移住。平成4年に再度無人化したが、その後、数世帯の島出身者が島をもりあげようと住民登録をしており、平成15年から、実際に居住している人がいる。
この島に行く定期船はない。

 現在人口1人(2019年10月現在)

※島はいつ無人になるかはわからないし、人口については常に変化する。




 

      
             
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