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大分県 別府市にある
瓜生島
(うりゅうじま)。
面積22平方キロメートル、周囲12キロメートル
(面積は面積計算ソフトで算出したおおよそ)
沈没した島。
当時、人口約5,000人(1596年9月現在)
大分県、別府湾に存在していたが、
安土桃山時代、1日で沈んだといわれる島、別名は『沖の浜』。
瓜生島は別府湾の数百メートル沖合にあったとされる。
瓜生島と久光島が別府湾を覆いつくすように存在していて、
瓜生島は1000軒もあった港町だったという。
寺社や島津勝久の居館が並んでいたといわれる。
瓜生島は1596年9月4日(文禄5年閏7月12日)、
慶長豊後地震によって沈んだといわれている。
震源地は別府湾南東部で、マグニチュード7.0程度。
この時、数百人の人が亡くなった。
現在、大分市勢家町に『瓜生山威徳寺』という寺があるが、
大友義正が永正10年(1513年)に瓜生島に開山したもので、
沈没後8年後に現在地に再建されたといわれている。
当時の住職は命からがら助かったと言い、本尊の像は仏崎に流れ着いていたという。
昔話では、瓜生島の蛭子神社にあった蛭子様の顔を誰かいたずらで、
赤く塗ってしたった祟りで、島が沈んだといわれている。
同じく、別府湾に存在し、瓜生島と同様に1日で沈んだ、
『久光島』があり、瓜生島と同時または1年後に沈んだとされている。
瓜生島は、本当に存在したかどうか、砂洲だったとか、半島だったとか、
まだまだ、諸説あり、日本のアトランティスともいわれている。
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※別府湾の位置。
水没のため現在、
その姿を見ることはできない。
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