大阪府 大正区にある
難波島
(なんばじま)。
大阪には正式な島はない。
関西空港や咲洲などの人工島があるだけ。
しかし、水の都大阪は、
川の砂が堆積していき、多くの川中島ができていた。
「難波八十島」と呼ばれ、
ところどころに島々が散らばっていた。
江戸時代には、
大正区あたりに、姫島、九十島、難波島、木更津島などが海沿いに存在した。
その中で、難波島は、大正区三軒家に位置し、
当時は海の難波に続くところとして、
難波島と名前がつけられたという。
難波島は、1699年には、木津川の水をまっすぐに流すために、
中央部が開削され東西で、
島が真っ二つに分かれたこともあったという。
江戸時代は交通の要所として発展し、
大正時代は造船所の島として栄えたという
それから時は流れ、多くの島が、
埋め立てやなどによって、陸続きになり、島の面影も薄い。
現在の難波島も、
陸と繋がっていて、陸の一部になっている。
難波島は、ほとんどが工場で、
繁華街や住宅街もない。
難波島渡船場跡など、
島であった面影が、微かに残っている。
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